昭和39年12月6日 夜御理解
「もうネ-」40年もその前の昔のことでございます。私くしが、小学校二年から三年の、ころだったかと思います。久留米にあのう-世界でも世界的その有名な猛獣のトラとか大蛇とかライオンとかいった様な大きなショ-が、まいりました事あるんです。それを私くしと私くしの仲の良かったじゅもんじゅの息子で実証と言っておりました。中野病院の息子で、こうきと言っており、その三人とその男達とお寺さんの修行生ですね。あの小僧さん20才ぐらいな方ですネ。四~五人連れだってから見に行ったことがあるんです。ちょうど今から考えてみると、ひょうしまジャパンの広場で、あったんですネ。もと、あそこは広場だったんです。あすこで、その時分は、電車から汽道、汽道がよっている時分でしたので、椛目の前にも、一度待っておる時間の時でした。
ちょうど、「まあ」その投じは、昭和女学校ってないですから、久留米高校の女学生だったと思います。
二~三人やっぱり汽道電車を待っているのです。
そこで、私達が四~五人遊んでいるのを見てから三人の女学生が言っておるんですよ。あの子供の中で、どれが一番好きなち「笑われる」「あら」くさのげっしゅうの坊さんでも病院の息子でも貴公子然としますもんね。可愛いらしかったです。
ところが、その誰れか言っているんでしょうね。その中の一人の女学生がですネ。私くしを指してあの色の黒かつが可愛いじゃないの、ところが今に忘れられないです。その事が、いわゆる女学生にプロポ-ズされた。「笑い声」
先ほど妹が申しておりました。もう本当に可愛い可愛いあの中島の子供が二人連れ毎日やってくるでしょう。
二人共、私くし実際可愛いらしいです。もうですから、もう家族中おもちゃにしてから可愛いがっておるんですネ。
これは、もうチョイトその、どげん腹が立っとっちゃ、娘の顔みたら、本当に気持ちがよくなるくらいある可愛いらしいんです実際。それをもう、たてかわり、たてがわりしてから、泣いたり、けれどもその子供ながら感じとる。自分は好かれとる。思うとるもんだから、我がままいっぱいの事をするんですネ。
たてがわれる時はイヤなんだけれども、自分は誰よりも好かれとると、言うようなものが、子供ながらやっぱりあるのでは、ないでしょうかネ。私たちはネ。神様が、どの氏子、この氏子と色が黒いから白いからと差別をつけなさるはずはないのだけれど、やはり神様の特別の御寵愛を受けた人が御徳を受けるのですネ。ですから、おかげの差が違うでしょうが。ネ。
御徳を受けてから本当にこの世を極楽で過ごして行く人。この世を苦労で苦労で地獄の中の様な思いで一生過ごす人同じ天地の親神様、氏子の中にあってそんなに違うでしょうが、だから同じ可愛い氏子に違いはないけれども、どこにか、その氏子を取り立てねばおかんと言う何かがあるからなんです。
私くしどもは、そうゆう意味合いで神様から御寵愛をうけておるんだと思う。そして、その修行時分の事は、右と願えば左と言う。あれは、ちょうど今あの中島の子供達が、ここの家族の者に、たてがわれておる様に、子供達からたてがわれておるにたてがわれて、おったんだなあとこう思うのです。
たてがわれながらでも、しかし、神様に好かれておると言うことはいつも感じるんですネ。神様がこれはもう、大坪総一郎ではなければ、出来んと言う時代が、かならず来るんだとために御期待くださっておるんだと言う。
そのいわゆる、期待されている自分と言う自覚なんです。分かるんです。たてがわれるよるのは、憎まれよるのとは、それこそ、泣き泣きの中にもですね。やはり、有難いやら、勿体ないやら相済まんやらと言う泣き泣きだったです。けれど、どうでしょうね、世の中には、かわいさ、あまって憎さ百倍と言う言葉があります。
そこに、例えば、私は、好かれておるからと増長する「ネ-」疲れておると分かりながら我がまますると分かりながら我がまますると、これでは、私くしはかえって、反対、いわゆる徳をうけながら急転直下おかげを落とした。
私どもの先輩が、いくらもある事を忘れちゃいけない。ネ。
今日、私くし、だいたいは、行けないはずだったのです。
けれども、どうでも行かなきゃならない事になったので親先生の御供をして、今北野の御大祭を頂きました。祭典なかばに、電話が、かかってまいりました。一時ごろまで帰るからと、ちょうど福岡それと、それから門司から二~三人お参りがあっとりました。
ぜひ、「まあ」先生におめにかかりたいからと、私は、一時までに帰って来るからと言うて、玉串だけ上げてすぐ帰って来ました。出かけに、私は、古賀先生に申しました。
久保山先生にも言いました。いつも私の留守中は、久保山先生がだいたいは中心で扱ってくださる。
ところが、今日だけは、私は古賀先生でなければできんと私は思った。神様に頂いた事がある。だから、こげして先に御飯頂いてからちょっと、後でちょっと後は、若先生に座らせるから、先にあんた、先に御飯頂いてくださいと先に御飯頂いてもらった。
そして後、古賀先生に奉仕させた古賀先生「今日はしっかりあんた奉仕せないけんよ」私は、いくえにも、その事を何べんも念をおしてまいりました。
ところが、そんげなふうで、次、次と実を言うたら、私がおらないと、出来ない人達の御取次をさして頂いたんですネ。
門司から参って来た人、なんかはもう本当自分の一身上の、もう生か、病人で言うなら生か、死かと言う所さまよっている様な方大きな鉄工所をやっている。このまま続けていったらもう破産状態が目に見えているような、そもお取次を 先生がさして頂いた。私、帰りましてから、すぐ後でここに、久富先生がここで奉仕しておりましたから、楽室に案内して、その三人の方達と面接をさして、もらってお取次さしてもらって、いろいろお取次さして頂いたんです。
ところが、さっきから、若い先生が座っちゃった。そのことを同じ事を、私が、伝えたんです。もう、だから本当にもう本当に、自分達が助かると言うもう久保山先生では、久富先生ではないけれども、楽室から出て来る時は、顔が夫婦ともイキイキして出てこられた。今度は助けられると言う、ゆわば思が心の中に頂けた、これは、神におすがりしとけばと言うその気持ちが出来た。それが私くしがただいま申しております様にです。四十年前の事を頂きました。
私くしに、今、皆さんにお話し、しました様に、私はその女学生にですね。色の黒い子、可愛いじゃないのと言われた。その事を今日お取次さしていただくんですネ。
なるほど、その人色は黒いけどなかなか、男前の本当に実業・事業タイプの、りっぱな方でした。
今はもう右だ左だと言うてそのそれこそ、世のこの荒波に押しばまれている状態だけれども、これは、神様がですネ。どことはなしに、これがしものをもって、おられるなぁと、私は感じたですネ。古賀先生が、その方達をお取次さして頂く、頂いておることがですね、もうこれはネ。本当ネ。今日は、先生から言われた事を一生懸命しただけなんです。
ところがもうじつにそのタイミングよくお取次が出来たと言うわけなんですネ。
そこへその方達が、参って来た。そこで一生懸命御取次さして頂いたら、御神意を頂いておったら、久富繁雄を頂いただから、久富繁雄さんの信心と久富繁雄と言うその字をもって言った。そうです。説明したそうです。あなたは必ずその、富が久しいですネ。
ゆわゆる、御徳の受けられる人だと、おかげの受けられる人だと、繁とは繁盛の繁と書いてある。元気な心で信心なさると、おかげ頂いていったらあなたは、かならず、おかげの頂ける人だと言った意味の事をただいまこうして頂きました。と伝えたことを、私くしが、あすこで別に古賀先生と話したもなにもしてないことを、それを知っているもんですから、いよいよ、いわゆる神様は信じるものを、椛目に対する真の力と言うものが、あそこで、出来た訳なんですネ。 これは、まだ若い先生ですらあのくらいの事わかんなるちゃけん。 もういわは、親先生にしたら、どげな、しっちゃるやら、わからんと思われたかも知れませんですネ。けど頂いた事は同じこと、そして、私は、繁雄さんの事を又、先生が説明しとる又、他の事を説明さして頂いて、とにかく、すなおになる事ですよと、ネ。繁雄さんあたりが、たとえば、「もう」とにかく、あたくしの側におるのも、繁雄さんじゃなければ出来んように、皆が、それを認めております、言うております。自分も、そう思うておられます。
どうゆう所に、あたしが繁雄さん、繁雄さんと言う事になったかと言う事になったかと言う事です。「ネ-」それこそ抜けた様な素直なおさをもって、おこられる所が、私くしがあの人に対する魅力なんです。
それこそ、例えばよネ、とりあげの真最中にです。いわば、毎晩、毎晩、ちょうど、とりあげちゅう一番初めは、これは、アンマに晩に見えましたからですネ。マッサージして下さったんですからネ。どんな事を言ってもそんなです。「マァ」言うなら、あの手、この手でたてがわりをなさった気もするけど、けれども、繁雄さん自身がですネ。やはり親先生に信じられておるとか、好かれておるとか言う、たてがわれながらも、そうゆうものを感じられておられているのではないでしょうか。
「ネ-」だからこそ、辛抱が出来るのです。その人、その人の上に何か特別のいさむさんが言われます。
うちの人のどこがよかならあげ親先生は繁雄さん繁雄さんと言いなさるちゃろか。うちじゃ「もう」ちょいと、どんこんできんとか言うてから言われるどんこん出来ん所が、私の魅力なんです。
繁雄さんのトレードマークはそこなんです。「ネ-」だから、互いがです。何か、そこにもってです。神様のいわば白羽の矢をたてなさるとか、魅力を感じて下さるような、何ものかが、なからなきゃいかんですよ。そうゆう意味で、あたくしは、高芝さん、あたりなんかは、ある意味あいで、代表者と思うですネ。何か、もっちゃるです。そうゆうものを、誰よりも、信心をしておられる、わけではないけれども、そんなものをもっておられるです。ですからそれに増長したらいかんです。
いつでしたかもう十年前だったでしょうか、好かれていると思いなさんな、頼られていると思わんのと頂かれた。
どうゆう、神様から、たてがわれていよってもですネ。その中に、交流するもの、交ようもの、今朝から御食事をさして頂きよる時に、私くしが家内に御飯を少しばかりついでくれと、耳いったか、耳いらんか、返事をせんの、わからん、耳いったかと私しが、わきのほうで、そしたら、耳入りましたよって耳いったら、耳いったで、何し返事せんか、返事しましたではないですか。
私に言うわけなんです。だから返事しとろばってんこっちの方が耳にいっとらんわけです「ワッハッハッハ」「ネ-」あなたばかりは、どげんしてよいやらわからん。そんなら目にもの言わせろと目で、わかったら、わかったと言うふうにほうこくしろと、俺が耳が遠かなら、私はもうそげんあなたが、あたしを、俺を、あたしをこうにらみつけると「笑い」どげんかすりゃ私しを、あなたはこうみつけてからいるではないですかと、言っていたんですけどもネ。なにか、なにか一つかようものがなければいけません。呼びかけたられたら私は、今日帰ってから申しました。古賀先生に今日は、だいこうのじょうをやられたと私くしは、そして古賀先生が感じておることなんです。
「ハァ-」親先生が、もう今日は、あんたでなければ出来んば、念をおして言わっしゃったつが、なるほど、とがてんが出来たと言うことば、いよいよ、古賀先生自身も、親先生を信ずる心がいよいよ強よなった。これは、私くしの、うぬぼれかもしれませんよ。
けれども信ずる心は強ようなったのではなかろうかとこう思うのです。信じられてこそやはりおかげが受けられるのです。
でも一つ信じ信じられなんですけれど、それがどうゆう大修行をさして頂きよってもです。やはりその中身には、どんなにたてがわれておっても、自分はたよられておる。
自分は、神様に期待を受けておるといった様なですものが通うところに、どんな修行でも、いわば平気で、できるのではないでしょうか。ネ。
おかげ頂かなければいけません。終わり